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上林暁文学記念館
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所在地:高知県大方町

​竣工:1998年

高知県大方町は、県の南西部に位置する四万十川の河口に近い海岸線沿いの町で、計画は、この郷里に生まれた文学者上林暁の記念館を中心に、図書館と公民館の機能を併せ持った地域の文化施設を作ることだった。

本来、文学はヴィジュアルアートとは異なって、視覚的に展示することが困難なものであることはいうまでもない。散逸しがちな原稿や資料の整理と保管を引き受ける点では、それだけでも十分な存在意義があるとはいっても、やはり文学にとっての最大の媒体は「本」なのである。設計の当初繰り返し考えたのは、文学に対して建築を建てることの意味についてである。記念館を建てることにもし意味があるとすれば、それは、多くの人々が参画する建築行為そのものがすでにメモリアルという言葉にふさわしい行事になっていることではないかと考えた。上林暁は、明治35年に大方町に生まれ昭和55年に79歳で没するまで私小説を書き続け、最後の私小説作家とも呼ばれた人である。彼は二度の脳溢血で倒れたあと晩年の18年間病床にありながら、左手で原稿を書き続け、妹睦子氏の献身的な協力のもとに最後まで文学への情熱を捨てなかった人でもある。代表作のひとつに「ブロンズの首」があるが、これは、彫刻家久保孝雄氏による自身の頭像がつくられたときのことが書かれた作品である。「上林さん」と題するこの頭像は、具象彫刻としても名高い作品で、これを、建築計画の中のひとつの焦点に据えた。もうひとつの焦点としてエントランスホールの外部正面に位置付けたのは、彫刻家大久保英二による流木を素材として「白い屋形船Ⅰ」である。この作品は死ぬとき夢の中に白い屋形船が現れて、それに乗ると死んでしまうという土佐の古い伝承に基づいた上林の代表作をテーマとして制作されたものである。当初大久保英二に高知県立美術館で出会って制作を依頼したときに、彼は、大方の海岸で取れる流木を素材として作品を作りたいと話してくれたが、これまで日本の公共建築では、流木や木による外部彫刻は、永続性がないという理由で受け入れられることがなかった。しかし、こうしたディレンマがきっかけになって、3年に1度流木による彫刻作品がつくり続けられることになった。

テーマとなる文学と文学記念館の建築の関係は、中身とその容器のような関係にあると考えることができる。作家の生家を文学館にする例などは、その中身と容器の関係に生前の因果関係に求めた例であろう。むしろ今回の場合には、「白い容器を」を準備して、作家の精神が抽象的に浮かび上がるようにと考えた。

建築は、上部に虚空を戴いた基壇の形式をもっており、それ全体がひとつの建築的な丘を形成するように計画した。そして、その中のふたつの彫刻作品と左手原稿といった上林文学の視覚的象徴を焦点に位置づけて、それらを回遊性をもたせて関連付けながら、最後は、基壇上部の故郷大方の青空と松原の見える場所 ─ 上林暁を象徴し、記念する最終的な空間 ─ に到達し、そこに開放するエピローグとした。

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​一階平面

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​二階平面

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